南相馬修道院からの便り

「特定帰還居住区域


2016年7月12日に小高区は「特定帰還居住区域」に指定されました。
帰宅困難区域の指定が解除されて、住民の帰還が進められていきました。
しかし、「特定帰還居住区域」に指定されなかった一部の区域、
浪江に面した山間の部落は解除されないまま、今日に至っています。
そのうち住民の1世帯がこの区域への帰還を求め、
国費で周辺の除染が行われることになりました。
もう帰還をあきらめかけていた家族も、14年たった今日避難先での生活にストレスを感じ、
山に囲まれて生活していた故郷への思いを募らせていました。
周辺の大熊や双葉で「特定帰還居住区域」への指定のニュースを聞いて、
思い切って南相馬市に相談したところ、1軒でも帰還の希望があるならと、
市から国へ申請してくれることになったそうです。

一番戻りたがっていた母親は2020年に他界し、
息子さんがその思いを実現したいと今回の申請になったそうです。
実際に実現するのは何年先になるのかわかりませんが、
私は、この1世帯だけの思いをも大切にする南相馬市のはからいに感心しました。
少し気になることは、山は除染されていないので、
ほかの地域より放射線量が高いということです。
生活圏内は除染されたとしても、その周辺がどのくらい除染されるかによって、
危険性があるのかどうか??
そのことは役所も本人も承知の上だと思うのですが、ちょっと気になります。


前にも少し触れた除染土の問題ですが、
中間貯蔵施設がある双葉町の町長の「除染土受け入れの国民の理解を得るために、
まず地元福島県内で再利用に取り組むべきだ」との発言に対して、
福島市の市長は「まず、原発の恩恵が大きかった地域が真っ先にやるべきだ
(筆者注:すなわち東京など首都圏)、
要請があれば検討するが、福島県で率先して再利用をとの考えはない」と言っている。
石破首相は、「どれだけ多くの国民の理解を得るかが極めて大事だ。
地元になるべく多くの負担をかけないようにと思っている

町長の話もよく聞きながら国民全体の理解の醸成に努めていく。」と述べた。
(福島民報2025.3.1)

 南相馬市は、除染土の再利用について、道路整備の底に使って、
その上にきれいな土をかぶせて舗装する案が出されましたが、
住民の反対で、却下されたと記憶しています。
(私が南相馬に移住した当座、その話でもちきりでした。
現在どうなっているのかわかりません。再利用反対のまま続いていると思います。)
長い年月の間に、雨風、地震などで道路が壊れて、
除染土の放射性物質が流出しないとも限らないわけですから、
原発事故被災者の立場に立ったら、反対も無理はないと思います。
東京電力の恩恵を受けた地域が負担するのが筋だと思います。
これは私の個人的な意見です。


「わたしの召命物語 -教師のよろこび-

英知大学神学部を卒業して、
修道会から福山暁の星女子中学・高等学校の宗教科の教師として赴任するよう要請され、
「私は学校の先生になるために大学に行ったのではありません。その約束でした。」と断ったのですが、
「シスター○○に校長になってもらうための養成期間の埋め合わせをしてほしい」とのことで、
期限付きならいいか??と、神様のみ旨なら、
どこにでも派遣してくださいという従順の誓願の精神とは程遠い心で承諾しました。
学校に初出勤の日、校長から、高校1年生の学年主任として勤めるようにとのこと。
「え~ぇ、教師なんてやったことのないのに、学年主任?!先生って授業のほかに何をやっているの?」
学年団の先生方に「ご迷惑をおかけしますが、よろしくご指導ください。
私は何をすればいいのでしょうか?」と。
ベテランの先生を学年団に配置してくださっていましたが、
先生方も新米だが一応学年主任の私に伺いを立てられます。
「シスター、これこれはどういたしましょうか?」と言われる度に、
私の方から、「どういたしましょうか?」と聞き返して、
「こうこうしてはいかがでしょうか?」、
「そうしましょう!!」といった会話で明け暮れていました。

それから毎日が修羅場です。
宗教と倫理社会の授業の準備をしなければ!180名の生徒の名前を覚えなくっちゃ!!
2学年の宗教ですから約360人の名前を覚えないといけません。
新米教師に神様は容赦なく試練を与えてくださいます。
新学期が始まって1か月もたたない5月初めに、大事件が起こったのです。
学年主任だから、降りかかってくるものから逃げることもできず、
受けて立つしかなく、思いつく限りの手立てを講じて、
後は神様の助けがあるはず!と開き直って祈りました。
ことが収まったとき、ベテランの先生から
「シスターはすごい!!あんなに落ち着いて指示が出せるなんて!!」
とお褒めの言葉をいただきましたが、私としては落ち着いてなんかいなかったのです。

無我夢中で1年が過ぎました。あ~、何とか無事に?無事でもなかったのですが、
校長先生からお咎めもなく、1年が過ぎて、受け持った生徒たちは進級していきました。
学年の最後の日、生徒たちから「1年間お世話になりました。」との感謝の言葉をもらった時、
「あぁ、教師も悪くないな!!」と思いました。
高校2年生になった生徒たちが、少しお姉さんらしくなって挨拶してくれると、
教師の喜びというものを少し味わえるようになりました。
そして、この生徒たち一人一人を神様の前に差し出して祈りました。
神様がこの一人ひとりを守り、
その進むべき道を導いてくださるようお願いして、一日を終える。
そういう毎日が、ず~~っと続くことになります。
教師だけにはなりたくないと思っていた私ですが。

(パステル画、水芭蕉)

今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子





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