南相馬修道院からの便り

「希望の巡礼者


今年の復活祭は例年より少し遅く、4月20(日)になります。
カトリック教会と東方教会の復活祭は暦が違うために微妙にずれているのですが、
今年は同じ日にお祝いすることになります。

カトリック教会では2025年を「聖年」と定め、「希望の巡礼者」として歩むよう呼び掛けています。
今の世界は希望が持てるのでしょうか?
戦争・紛争や暴力の犠牲者たちの叫びが耳をふさいでも聞こえてくるようです。

希望が見えないところに希望の光を輝かせ、希望の種を蒔いて歩むよう教会は勧めます。
どのように?まず一番身近な自分の周りに、ほほえみで、優しさで、安らぎを感じさせる柔和な態度で、
明るい笑顔で光を輝かせましょう。
小さなことが波紋のように広がるでしょう!!
苦しみの中に輝く復活の喜びを信じて。



ところで、浜通りの原発事故による、放射能汚染除染土は、
大熊と双葉町にまたがる広大な中間貯蔵施設に保管されていますが、
30年後には元の地主に返還する約束です。
2040年には県外に搬出する予定ですが、
どの地域も再利用反対で受け入れ地がまだ見つかっていません。
これは政府のただの決意表明でなく、法律に規定された国の責務だとしています。
全国民への周知を今頃になって慌てているようです。
「北方領土に最終処分場を」と軽率な発言もありました。

また、昨年、第一原発の2号機から取り出されたデブリの解析の結果、ウランが検出されました。
核燃料物質からウランが直接確認されたのは初めてとのこと。
核爆弾のもとになるものが、原子力発電所に沢山あるということは、
平和憲法の非核三原則をあやふやにしていくことではないでしょうか?
これが原発反対の大きな理由でもあります。


「わたしの召命物語 -挫折2-

西宮から帰ってすぐ、幼稚園で働いた1か月半の給料をそっくりつぎ込んで、
浪速大学通信教育で保育科(幼児教育だったかな?)に入学手続きをして、
働きながら免許を取ろうとしました。しかるべきところに就職が決まるまでという条件で、
神辺の本屋に臨時職員として採用してもらいました。
4月中旬は各学校の教科書や副教材を配達する仕事が主なので、バイクの免許が必要です。
丁度良いチャンスがあって、神辺小学校の校庭をくる~っと一回り、二回りして免許を取得しました。
バイクに重い教科書・副教材を載せて学校廻りが始まりました。
山のてっぺんにある小学校へは、荷物が重いので、
途中からバイクを押して歩かなければならない所もありました。
毎日、教科書の数を間違えないように細心の注意をして荷造りをし、
バイクで運ぶのは重労働です。
仕事から帰ると、さあ勉強!!眠気との戦いに負けてしまいます。
2,3週間は続いたでしょうか?ばててしまって、1回も試験を受けず、
通信教育での大学もあきらめ、途中で投げ出してしまいました。
第2の挫折です。

通信教育で大学を卒業したり、免許を取得した人を私は尊敬します。
もともと体を動かして遊ぶのが好きで、勉強は好きなほうではなかった私には、
働きながら勉強をするのは無理だったのでしょう。
自分の弱さを知ることになりました。

このことも私の中では大きな収穫でもありました。
のちに、修道院に入って、誓願を立ててから、大学で勉強するように言われ、「今更勉強を?!」と、
その時には意欲もそれほどなく、学校の先生をするのは「まっぴらごめん」という思いで、
「『学校の先生を』と思われているなら行きたくありません」と答えたら、
院長は、「学校の先生のためではなくて、修道者としての養成のためです。」と言われて、
それならOKと返事をして、関西の英知大学神学科(現在廃校)に入学することになりました。
学校の先生を拒否したのには訳があって、70年以上前のことだからもう時効でしょうから、打ち明けますと。
小学校の低学年ごろのことです。
その頃は小学校も中学校も、私の家族が住まわせていただいていた郵便局も宿直員がいました。
小学校も中学校もすぐ近くなので、夜、宿直の先生が郵便局の2階に集まって麻雀をするのですが、
メンバーが一人足りなくて、いつも母が呼ばれていました。
担任の先生も来ていました。
夜、遊んで、次の日のホームルームで「しっかり勉強しなさい」と言われても、
先生だって遊んでいるじゃあないか?と。
学校のことなど話したくても麻雀に母を取られた恨みで、学校の先生を軽蔑していました。
「絶対に、先生になんかなるものか!!」と、子供心に誓っていました。
それなのに、ですね、英知大学で「せっかくだから宗教の教員免許を取りなさい」との院長の言葉に、
「それもそうね。ちょっと単位を多く取ればいいだけだから」と安易に考えて、
中学・高等学校の教員免許を取りました。

神の上手な手にはまってしまって、卒業と同時に、
福山暁の星女子中学・高等学校の教員として派遣されました。
神様への従順の前には自己の望みも霧のように消えてしまいました。
ということで、学校の先生になったのです。


今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子





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