南相馬修道院からの便り
「真の平和」
10月はロザリオのマリア様の月です。
上の写真は、幸田司教様がマリア様の祝日のミサで着用されるストラの刺繍です。
MAのデザインも気に入っています。ちなみに私たち「援助マリア会」の略称が「MA」です。
このマリア様の月に、特別にお祈りをお願いしたいことがあります。
先日、いわき教会の60代の信者さんが急にお亡くなりになりました。
それまではお元気だったようですが、検査のために入院して1週間くらいで亡くなられたそうです。
本当に急なことで、奥さんはどんなに戸惑っておられることでしょう。ご冥福をお祈りします。
このご夫妻が信者になられた経緯をお尋ねしました。東日本大震災で、いわきは大きな津波の被害を受けました。
奥さんはそのことで、精神的に大変苦しく、生きづらさを感じ、心身不安定になられました。
その時、出会ったのがカトリック教会で、何か心に安らぎを感じて、ご主人と一緒に、教会に通い始められました。
2014年にご夫婦ともに洗礼を受けられました。
この地域には、今も人知れず心の不安に悩まされている方がどんなに多いことでしょう。
心の不調については、私も経験があるので他人事とは考えられません。
私の父は広島の原爆で爆死しました。爆心地の近くにあった陸軍病院の軍医でした。
8月6日の朝、電車を降りて病院に向かって歩いていた時間だと思われます。
何千度という熱線を爆心地で浴びたので、恐らく蒸発したのではないでしょうか。
或いは黒焦げの死体で転がっていたのでしょうか?まったくわかりません。
父は、陸軍の軍医として中国で軍務についていたようです。
カメラが大好きで父は中国のいろいろなところを写真に残していました。
中国人の子ども達とにこやかに映っている写真もありましたが、
中には、多くの中国人が後ろ手に縛られ、山積みにされているものもありました。
私は中学生の頃、その写真を見て、2つ年上の姉と父の死について、そして救いについて度々話し合っていました。
私も姉も父を覚えていません。あの朗らかで優しく、誠実で他者を大切にする人だと聞いていた父が、
中国の戦地で何をしたのか、想像することさえはばかれる思いです。
その父が原爆で死んだのは罰なのか?戦争で国の命令でやったことまで罪に問われるのか?
なぜ戦争を拒否できなかったのか???
多くの疑問の中で、私たちは苦悶しました。と言っても14,5歳の少女の考えることです。
解決の道はまったく見えず、頭の中も、心の中もモヤモヤのまま抱え込んで、押し殺して、
考えまいと投げ出して、母を困らせまいとずっと懸命にいい子で過ごしました。
カトリック学校の高校生であったとき、私は宗教の授業で“神様・・神様“と言われる度に、
見えないものに頼ることを愚かしく感じ、反抗していました。
生意気にも私は自分の力で一生懸命頑張って生きているのだと思っていました。
高校2年生の秋、スケッチの好きな私は、裏山のてっぺんに上って、スケッチをして、
途中、コロンと転がってどこまでも青い空を眺めていました。
その時、地の底に引きずられてどこまでも落ちていくような感覚を覚え、
思わず「助けてぇー」と叫んで、ハッと気づきました。
自分の命、存在そのものは、自分の力でなく何か大きな方の力に支えられ、
包まれて「ある」ということを一瞬のうちに悟りました。あゝそれが神様と言う方なのだと。
それからは不思議に何の抵抗もなく神様と呼ぶことと、神様の存在が私の中にスーっと入ってきました。
しかし、その神をイエス・キリストは父と呼んでおられますが、
幼くして父を亡くし、父の記憶のない私には、父と呼びかけることに親しみもなく、何となく空々しく感じていました。
高校3年生のクリスマスに洗礼を受けました。
福山カトリック教会の司祭から要理の勉強を受けました。
その中で、「キリストによる罪のゆるしと償い」というテーマに触れた時、電気ショックを受けたように感じました。
中学生の時、姉と父の死について、あれは罰だったのかと苦悶していたことが、ここで一つに繋がったのです。
「全ての人は、キリストの死に結ばれて、赦され、解放される。
イエス・キリストは神から来られ、私達と同じ人間となって、喜びも苦しみも私達と同じように味わい、
人類の犯すあらゆる罪をご自分の身に負って、十字架上で御父にゆるしと償いをお捧げになりました。
すべての人間のために神への道を開いてくださった方です。
神に対して犯された罪は、イエス・キリストの神への愛をもって償われる。
だから、このイエス・キリストの十字架に結ばれた人々(人類、父、私)は、父なる神のふところへと入れていただき救いを受ける。」
このような意味の要理を受けて、長年もち続けたモヤモヤ感が、霧が晴れるように払われました。
心に憎しみを抱えた私でしたが、すっきりとして私自身が救いを得たような思いがしました。
父の爆死の苦しみがイエス・キリストの十字架の死で償われたと確信した時、
私はキリストの十字架上の死が全ての人の救いであると信じて洗礼を決断しました。
その当時、どこまで明確に分かっていたかはわかりませんが、あの電気ショックの感じは覚えていて、
キリストの十字架の死が、私達の救いだと確信できた時でした。
それから修道院に入ってから体験したことですが、
中学生、高校生を相手に毎日教員として喜んで働いていた私が、5年ほど経ったころ、
何だか自分が自分で無いような感覚を覚え、不登校気味で学校に行くのが苦しくなった時期があります。
今思えば遅発性PTSD(*心的外傷後ストレス障害)だと思います。
夜中に起きて聖堂に行って、床をたたきながら、神様に向かって「お父さんを返せ!お父さんを返せ!」と叫んでいました。
私はこの時、自分の心に、憎しみと恨みを抱えていることに気づきました。
人を憎み怨む心、それは人の心に非ず。
戦争は戦場で戦う人だけでなく、私の心をも、真の人間でないものにしてしまうことに気づかされました。
なぜなら、神は人の心を愛に向けて作られたのですから。
夜空に一番きれいに輝く星をお父さんと呼べと、母は私たちきょうだいに言っていました。
星に向かってしかお父さんと呼んだことのない私は、
ある黙想会の時、高齢のちょうど父と同い年くらいの神父様に、
“おとうさん”と呼ばせてくださいと、恥ずかしさもありましたが、思い切って呼ばせていただきました。
その時、背中に柱が、背骨がバーンと入ったような、内からこみ上げてくる力を感じました。
それは目に見えない神の力であると感じました。
「父なる神が私の中で生きてくださっている、私を生かしてくださっている」という、
言葉で表せないけれども現実であるとはっきり分かる体験でした。
イエスが「父よ」と呼ぶように教えてくださった子心を、父なる神様に向かって初めて抱くことが出来ました。
これは私が35歳の時の体験で、父の死を意識して30年以上もたった頃です。
地震、原発事故で、家族を亡くした方々の苦しみは、時間がたてば解決するものではないでしょう。
腹の底にためているものを本当の意味で解決できた時、自分が自分となって、
幸せに生きることが出来るようになるのだと思います。
また、広島の原爆のことでいえば、長い間多くの人は心の奥にしまい込んで、精神を病んだ方もあります。
私も一時的ですがその一人です。心が平静に戻るまで5年間かかりました。
人によってその解決方法は違うと思いますが、内にしまい込んでいるものと向き合って、
悲しみを押し殺さないで、十分悲しむこと、泣くこと、そして「さようなら」のなかった別れに、
「さようなら」を言うことによって解放されるのです。原爆のことはタブーだった時代があります。
感染するかのように避けられ、差別され、結婚も、女性は子どもを産むことさえあきらめたような時代がありました。
そのようなことは、今では考えられないようなことなのに、
この原発事故は、そのことを忘れたかのようで、全く学習していないと私は感じるのです。
日本人は、広島・長崎から何を学んだのでしょうか?
ある方に、福島の現状を見聞きして感じたことを話しましたら、その方はこう答えてくれました。
「日本人は、日本の政治家は『嘘をつくことと、隠すこと』を学んだんだよ。」と。
憎しみ、怨みから解放され、乗り越えることを教えられたのは、ヨハネパウロ二世教皇の広島での平和アピールです。
「戦争は、人間の仕業です。・・・過去を振り返ることは将来への責任を果たすことです。」
戦争は人間の仕業!人間を人間でないものにさせる、許しがたい行為です。
今のこの世界はどこに向かって行くのでしょうか?
世界に平和を願って終わりにしたいと思います。
祈りましょう!!真の平和を!今も苦しみを抱えている方のためにもお祈りしましょう。
長くなりましたが、私の独り言として、読み流してください。
皆様、良い日々をお過ごしください!!
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
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