南相馬修道院からの便り 「菜の花」 13回目の3月が巡ってきました。 私が南相馬に移住した年、広大な菜の花畑が美しくて感動しました。 でもそのわけを聞いて喜んでいいのやら複雑な気持ちになったことを覚えています。 福島第一原発事故によって放射線に汚染された土地は、もう農地として使い物にならないものになってしまいました。 この南相馬にチェルノブイリの人が知恵をくださいました。 菜の花は、葉や茎には放射線が含まれるが、種には放射線が入らないから、菜種油を作るといいことを教えてくださったそうです。 それで、南相馬の浜通りには菜の花がたくさん植えられたのだそうです。 故郷を思う人たちの気持ちをちぎり絵に込めて。(「俺たちの伝承館」の作品からの抜粋) ●福島の山河いとし 風やさし されどその道 あまりにけはし ●我がふるさとよ 福島県 相馬郡 小高町 ●私のからだは 福島の土で 出来ている 心は福島の 風と森の 匂いで出来ている (「俺たちの伝承館」の作品から。この作品は除染土の畑をイメージして、土をこねて描かれています) 原発被災地:南相馬の土は、放射線によって汚染され、除染という途方もない作業によって、入れ替えられています。 表土を5センチから10センチ剥ぎ取り、汚染されていない地域の山土などで覆って、農地とします。 しかし、農地は肥沃な土になるためには、30年から50年くらいの年月がかかると言われます。 もちろん現代では、よい肥料などが開発されているので、それほどまでに時間はかからないでしょうが、 農家の人々の苦労は大変なものだと思われます。 山は除染されていないので、林業、山菜、キノコ類を生業にしておられた方々は、いまだに元の生活に戻れていません。 キノコは山で採らなくても、ハウスでおがくずのような土で栽培できるようですが、本当のキノコの味は、原木栽培が良いとのことです。 その原木が放射線に汚染されているために、県外から原木を仕入れてキノコ栽培をしておられるとのことです。 (浪江の震災遺構:請戸小学校の写真) (請戸小学校体育館の床、ステージには祝卒業の横断幕) 学校教育にも大きな影響を与え、多くの地域で、数校が合併して新しい学校を開校したり、 新しい校舎、校歌を作って生徒が帰ってくるのを待っています。小中一貫校になるところもあります。 新しい学校への希望はあるとしても、子供たちが自分たちの懐かしい場所から慣れない所へ移転すること、 母校がなくなる寂しさなど、心情的に複雑な問題があります。 震災遺構になっているこの写真の請戸小学校は、「浪江創生小学校・中学校」として2018に開校しました。 昨年2023年3月の卒業生は、小学校5名、中学校3名で、 4月の入学生は、小学校7名、中学校9名。少しずつ増えているようです。 (小高の浦尻海岸近くのお地蔵さま) 津波で幼い子供を失った家族が、海岸近くの丘に、子ども地蔵を建立して供養しておられるのを見ると、胸がつぶれる思いです。 親御さんは、同年齢のこどもを見るたびに、「あの子も、こんなに大きく成長しているはず」と、 一日も忘れることのない我が子の成長した姿を想像して、涙をこらえておられることでしょう。 私たちには、何もできませんが、被災者の思いを神様に届けて、心の平安を祈ります。 今日はここまで。皆様お元気で!! 援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
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