南相馬修道院からの便り  「ともに生きる 小さなクリスマス」


世の中はもうクリスマス一色になっていますが、
私たちはこれから降りて来てくださる神を待ち望む時:待降節を過ごします。

神の子キリストは、御父の言葉として人間の中に降りて来て、私たちと共に住み、共に生きてくださるのです。
「み言葉は人となり、私たちのうちに住まわれた」(ヨハネによる福音書1章)

この福音書のみ言葉は、南相馬の修道院を創立する時のきっかけとなった言葉です。
地元の方たちに「私たちのような高齢で力の弱い者でも何か皆さんのお役に立てることができるでしょうか?」との問いに対する答えが、
「一緒に住んで、一緒に生きてください」という言葉でした。まさにこの時代にこの地の人々に、キリストの生きた証をすることができる私たちの奉仕です。
修道院を開いて、皆さんの中に一緒に住むことによって、ご聖体のイエスがこの地に入って、ともに住み、生きてくださるのです。
私たちは、共感はできてもこの地の人々の痛みを同じように痛むことはできません。
でも、イエスはこの地の人々と同じ痛みを分かち、御父にその叫びをそのまま伝えてくださるのです。



(今夏、高校生ボランティアが修道院の隣家の庭の草取り奉仕)

コロナが少し収まって、今年もたくさんの方々、学生・生徒さんたちがカリタス南相馬にボランティアとして来てくださいました。
にもかかわらず、急遽予定を変更して、
秋田の豪雨災害で大きな被害を受けた聖霊学園の復旧のために力仕事を引き受けてくださったグループもあります。
本当に若い人たちの力強さと柔軟さにその場の必要に答える姿勢に、希望を感じました。

また、原発事故の被害の現状を視察して、
「新しい学びを得て、これからの人生の歩みの糧となった」という高校生の言葉は、私たちにとって、力になりました。
私たちがここに居て、小さな奉仕しかできませんが、訪問者の心に大きな衝撃や今の生き方への問いを与え、
彼らがこれからの人生を歩んでいくための糧を得て帰られる姿は、神様が確かに働いてくださっているという証です。

私たちが小高の住民になって、はや5年がたつのですが、小高の隣近所の方とのかかわりはほとんどありません。
まずその一因は、私たちが毎日12㎞ほど離れた原町のカリタス南相馬のボランティアセンターに通って、ほとんど修道院を空けていることです。
さらに隣近所と言っても住んでいる家は、点々としており、どんな方が住んでおられるのかさえ分からない状態です。
すぐ隣には、90歳を超えたおばあちゃんが一人暮らしで住んでおられ、この方とは以前から時々、立ち話もできるかかわりです。

数十メートル先には、2、3軒、夜あかりが灯るので人が住んでおられることは分かりますが、どんな方かは分かりません。
そのうちの一軒は昨年のいつごろからか、数週間おきに新潟ナンバーと秋田ナンバーの車が入れ替わり立ち替わりでやって来られるので、
子どもさんが独り住まいをしておられる高齢の親御さんの介護をしておられるのかなと想像しています。
遠くに避難して、そのままその地で生活が安定したものの、親が高齢になって、独りで生活できなくなったのではないかと想像しています。

震災、特に原発事故の災害によってバラバラになった家族が、たくさんあります。
親の世代は故郷に帰り、子どもの世代は仕事や、学校の関係もあって、家族が一緒に暮らすことを断念したり、また小さな子供を抱えて、
放射線の被害を回避したい思いもあり、生活基盤をどこに置くかと悩み葛藤している家族もたくさんあります。
私たちの近所の様子を見るだけでも、そのことがうかがわれます。

このような状況の中にあって、私たちは何の手立てもできないし、この人々の不安を解消できるようなことは何もできません。
本当に自分たちの無力を毎日感じています。
でも、この待降節が示すように、降りて来てくださる神、イエスが、私たちと共にいてくださることを信じて、私たちも共にいることに大きな意味を見出しています。
「明かりが灯り、人が居て、一緒に住んでくれる。そのことが、自分たちは忘れられた存在ではないという安心感をもたらすのです。」と地元の人が言われます。
幸田司教様のブログ「毎日がクリスマス」は本当のことです。私は、そのことを毎日感じながらここに生きています。
ともに住み、共に生きることがどれほど大きな力であるかは、失った時に分かるものです。


修道院近くの交流センターのイルミネーション。
センターの屋根を紫色の輝きが覆っていて、通りかかる人、見る人の心に灯をともします。

皆様お元気で、良いクリスマスをお迎えください!!

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子




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