南相馬修道院からの便り 「復興に向けて・・・」 17年前から、南太平洋のクック諸島で生活しておられる方(平和協力隊で)が、1年に1度帰国されます。 コロナで2年ほど間が空いたのですが、今年も5月にカリタス南相馬に5日間ほど滞在して、被災地のボランティアをしてくださいました。 クック諸島は亜熱帯の気候で住み易い所だそうです。コロナは、国が閉鎖したので入ってこなかったとのこと。 南太平洋のサンゴ礁と火山島からなるラロトンガ島(本島・首都アバルア)は、「太平洋の真珠」と呼ばれるほど美しい島です。 シュノーケルやダイビングなどの観光資源で生活が成り立っています。 コロナで往来ができなくなって生活が困窮したとのことです。でも自然が豊かで食べ物に困ることはないようです。 ニュージーランドと政治的にも通貨も近い国で、お米はオーストラリアから入ってくるそうで、 握り寿司を食べると日本に帰ったと実感すると言っておられました。 (写真右:大熊のモーモー牧場入り口、放射線量が高く、許可証が必要) 今回彼は、モーモーガーデンにボランティアに行かれました。 モーモーガーデンは、ご存じの方もおられると思いますが、原発事故で入ることができなくなった大熊にあります。 酪農家が飼っていた牛たちは放射線汚染され、飼い主たちは緊急避難し、えさをやるために帰ってくることさえできず、 肉牛も乳牛も多くは殺処分されました。 数ヶ月か数年前、、逃亡して殺処分を免れて生き残った牛たちが、誰もいない元の牛舎に帰ってきた時のことです。 若い女性、谷さんが、大熊に入る許可を取り、その牛舎の前に立った時、牛たちが滂沱の涙を流したそうです。 彼女はその涙を見て、非常に心を動かされ、牛たちも命ある生き物、何とかして生かしたいと、強く思いました。 そこで彼女は会社を退職して、農場を自費で開きました。放浪牛を集めると11 頭いたので、「モーモーイレブン」と名付けました。 農地の地主たちが、帰還できるようになった時に、すぐ農地として役立てることができるためです。 荒れ放題になっている農地の草を牛たちに食べてもらって、荒れ地になるのを防ぐことを、農地の所有者に提案して理解を得て、 今日まで続けておられます。 多くのボランティアが絶え間なく支援してきたのですが、コロナ禍の中で、支援が途絶えがちになり、その経営にずいぶん苦労されています。 「モーモーガーデン」で検索すると詳しく見ることができます。 大熊の牛たちは被爆牛なので移動させることができません。 最近、北海道から高齢のために牛を飼うことができなくなって、谷さんを頼って2頭の牛を預けられました。 そこで谷さんは大熊でなく、早くから解除されている富岡に新しい農場を開きました。 クック諸島から来た人は、その富岡の農場に5 日間通い、牧場の排水が悪いので、暗渠を埋める作業をほとんど一人でやられたそうです。 5月は草が多くはえる時期なのですが、牧場の排水が悪く草が生えない状態で牛達がお腹を空かしているそうです。 だんだんと支援も薄くなっている状況下で、この牛たちの命をどうしたら救うことができるか? 谷さんの熱意には、本当に頭の下がる思いです。 5月末ごろのこと、小高工房に一人の男性が来られました。2年前に浪江に帰還されたそうです。 私が「浪江は、国際教育研究機構や、水素エネルギーの拠点になって、これから発展していくのでしょうね?」と聞いてみると、 「住民の気持ちはどこかに置きざりになっていて、発展といえるのでしょうか?元の町に戻ることはできないと分かっているけれど、 住民が戻りたいと思えるような、住民の心に寄り添ったものにならないのだろうか? 国際教育研究機構など5000人規模の大プロジェクトで住民が戻って来れるのだろうか? 役所の人間も、地元の者はわずかで、他県から応援の人が多くて、住民の声は反映されていないと感じる。 応援の方には感謝するが、本当に難しいものです!!」と。 (写真左:福島民報2022.12.11) (写真右:福島民報2022.8.31) 私は、単純に浪江の街が国際教育研究機構や水素エネルギー開発の拠点として発展していくことを喜んでいたけれど、 住民の人たちの思いに寄り添っていなかったと目が開かれ、反省しました。 いろんなところがきれいになってきていますが、元の住民にとっては、 なじみの薄いところ、自分達の場という感じがしないようです。 復興と一言で言うけれど、その中身は、その復興の在り方はなかなか難しいものだと思います。 小高工房で、さまざまな人と出会って思うことは、100人いれば、100通りの思い、考え、希望など、 思い描くことが違っているということです。 小高工房の廣畑さんは、どれも否定せず、それぞれが思い描く生き方で生きることを大切に考えておられるのに感心し、 学ばせていただいています。 本当に人を大切にするということは、自分自身の生き方を問われるものです。 聖書の中のイエスが、出会う一人一人を大切にされる生き方を、私は日々問われているように感じます。 イエスは、当時安息日に何か行動することは、石殺しの対象になるにもかかわらず、 目の前の一人の病人を命がけで救われます。 羊のために命を差し出す牧者です。 今日はここまでといたします。 援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
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