南相馬修道院からの便り 「歴史は、つながっている!!」 今年の梅雨はどうなのでしょう? あまり激しい大雨にならないで、優しい太陽に微笑んでもらいたいですね。 またまた古い話ですが、3月末 、 春休みを利用して、 東京清瀬にある東星学園の先生方が、カリタスに4 泊5日で来られ、 丁寧に視察をして生徒たちにどのように伝えるかなど考える 時を過ごされました。 視察のたびに夕食の後、分かち合いをしました。 その中で、ある先生が、「ついに東日本大震災を知らない子たちが中学生に上がってきました。 その子たちにどのように伝えることができるか悩みます。」 などと話されました。 それで私の教員一年目の体験をお話ししました。 教員一年目、高校一年生の宗教の授業:平和学習の中で、 「私の父は広島の原爆で、爆心地で爆死しました。」と話した時、 生徒たちがびっくりした顔で、「シスターのお父さんが???」、 「原爆って、歴史のことじゃん 」と言って、 今、目の前にいる私が、歴史で習う広島の原爆とつながっているのに驚いたのを思い出しました。 第2次世界大戦、戦争と原爆、歴史の教科書になってしまった出来事が、 現実に今、生きている人とつながっていることに驚いたようです。 その時は、私の方がショックでした。「ああ、もう歴史のこととして忘れられてしまうのか?」と。 私が30歳の時なので、まだ戦後、28年。 今でいえば、阪神・淡路大震災からちょうど今年が28 年です。 子供たちの感覚からすれば、阪神・淡路大震災も歴史の教科書の中のことなのでしょうか? こう考えると、歴史を学ぶ時にも、その出来事の一コマ一コマに生きた人間がいて、 悲しみ、喜びを感じて生きたことを思い浮かべていただきたいと思 いました。 この震災の出来事、原発事故の痛みなど、歴史の出来事として追いやってしまわないよう願いたいものです。 (北村家の神社。最上段:本殿) 歴史認識のことでついでに笑い話をしましょう。 私の個人的なことですがたまには、笑い話もいいでしょう?! 私は戸籍上は、実母のお母さん(私の祖母)の代の北村家の養女として入籍されていて、 育ったのは実の家族の中で、修道院に入るまで一緒に暮らしました。 私の家族の中で、私だけ北村の姓であることは、小さい時から 教えられ、知っていました。 北村家は、田舎の神社の宮司の家で、一人っ子の跡取り娘が他家に嫁いだので、 北村家の跡取りが空籍になり、その娘(私の母)の娘である私がその籍に入れられたのです。 家族の中で、北村家の者という自覚もなく、みんなと同じに過ごしていました。 ところが、福山暁の星女子高等学校への入学時に、戸籍謄本を取り寄せ、 初めて自分の戸籍を目にしました。驚きました!! 何と!私の養父は、安政5年生まれだったのです! 安政5年 1858年)といえば??安政の大獄? 「江戸時代じゃん!歴史じゃん!」 考えてみると私もあの生徒と同じ反応でした。 「えっ、私のお父さん(養父)が? 江戸時代って?」その時、江戸時代が手に届く感じがしました。 あの激動の時代に、私につながる人(養父)が生まれ、その時代に生きた人々の、国を思い、 過激な行動も辞さなかった熱情が伝わってくるような気がします。 今、この小高で何とか町を復興させたいと、地元の人々と移住してきた若者たちとが手を取り合って、 踏ん張っておられるその熱情も、つながっているように感じます。 歴史は人と人とが連綿と繋がった鎖なのです。 (写真左:中段) (写真右:最下段) そしてこの神社の宮司の跡取りとなった私は、何とあろうことか、カトリックの修道女になってしまったのです。 私が修道院に入ると言った時、母は一言も北村家の跡継ぎのことを言いませんでした。 それで脳天気な私も何にも考えず、家を出ました。 それでもこの神社は、今もあの村で生き続けているのです。氏子さんたちが守ってくれているのでしょうか? 村の重要文化財になったのでしょうか?散策マップに載っていました。 私は自分に託されていたこの神社の古文書を村役場に寄贈し託しました。 天国で私の実の両親は、どんな顔で養父母に会っているのでしょうか? 申し訳ないと頭を下げているのでしょうか?? 私もあの世に行ってその様子を見たいものだと思うのです。(笑) もう一つ、ついでに笑い話を書きましょう。 戦時中には、皆、いつ、何事が起こるかわからないので、胸に血液型を書いた布を縫い付けていたそうです。 私の母は、「O型」を縫い付けていたといっていました。 元気な私たちは血液型をそんなに心配することなく何型かも知らずに過ごしていました。 高校1年生の生物の授業で、血液型を調べました。耳に針をチクッとさして絞って血を出しました。 私は「AB型」と出ました。???「O型」から「AB型」は生まれない!! 「やっぱり本当は北村の子だったんか?じゃあ、あの戸籍謄本は偽物?」と、ちょっと悩みましたが、母には言いませんでした。 私が修道院に入ってしばらくして、母がちょっとした病気で血液型を調べたら、何と「B型」だったそうです。 「な~んだ、何も悩まなくて済んだのに!」と恨めしく思いました。 でも、そんなに長く悩んだわけでもないので、笑ってすみました。 今回は、私事ばかりで申し訳ありません。笑って流してください!! 今日はここまでとします。 皆様お元気でお過ごしください。
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
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