南相馬修道院からの便り 「南相馬修道院創立5年目の春」

もうすぐご復活ですね。少し早いのですが、
ご復活おめでとうございます。
ここ南相馬は、日々復活の喜びを味わえるところです。
周りで、いつも何か新しいことがあります。
浜通りに帰還した人々や移住を決めた方々の多くが、ここでは新しいことができる。
前例にこだわらないで、ゼロからいろんな挑戦ができる。と言われます。


ところで、援助マリア修道会が南相馬に支部修道院を開いて丸5年が経ちました。
先月の12日日曜日に小高の修道院で、ちょうど来福(福島)中の、
日本の援助マリア会の責任者シスター森田悦子を迎えて、少し早めでしたが、5周年の感謝ミサをささげていただきました。
聖ヨゼフの祝日3月19日が日曜日にあたり、祝日が20日に移動するので、早めにお祝いしました。
地元の方々の助け、ボランティアの方々の協力、支援をいただいて歩むことができました。人々の温かさなどに触れて、
少しずつ知り合いの方が増え、この地に足をつけて生きる実感が湧いてくるようになってきました。

5年間でずいぶん変化したと思います。
4年前に来た私が感じるだけでも、小高から原町への往来の時、特に夜に明かりが随分と増え、
草ぼうぼうの荒れ地が田んぼに代わって、お米が収穫できたこと、そして始めは飼料用だった物が、
ちゃんとした食用のお米として出荷できるようになったこと、漁業も試験操業から本格的な漁ができるようになり、
漁港が開かれたことなどなど、
ただ、新型コロナ感染症の流行によってその歩みにストップがかかったことは本当に残念なことでした。

その中で、私たちの修道院が、東日本大震災の津波・原発事故の三重被災地である、
この地域の当事者の方々と苦しみを共にしてくださっているイエス様の救いの御業を、
地域の人々のためにお捧げできるのは大きな恵みです。
特に、月1回ですが、この放射線被災地である小高で、幸田司教様によって、
ミサが捧げられてきたことは、キリストの贖いのわざを信じる者にとっては本当に、大きな大きな恵みです。
修道院が原発被災地である小高にあり、人々と共に生きるため、
人々と共に喜び、不安、苦しみを分かち合って生きるために存在していることを、
より多くの方々に知っていただきたいと思います。
これからも、聖家族を護られた聖ヨセフが、私たちのこの小さな家族を護ってくださいますようにお祈りください。

今年も3.11の前日に「いのちの行進」が行われました。
昨年同様、同慶寺から村上海岸までの約10Kmを、私も一緒に祈りながら歩きました。
今年は雨の予報でしたが、幸い降られなくて曇天で気持ち良い行進でした。
歩きながら、この大きな太平洋の波が襲ってきたかと想像すると、やはり恐怖です。
村上海岸近くに住んでおられた人々は逃げ道の橋が流されて、津波に飲み込まれてしまったと聞きました。
その地区に住んでおられた方、72戸で、住民の大部分の62人が亡くなりました。
学校に行っていた子供と会社などで出勤していた方が残され、自宅に帰れないし、
その上に原発事故の発生で、遺体の捜索もできないまま強制避難。本当に過酷な出来事でした。
そして避難先では放射能がうつるとか、
福島から来たということが知られると差別されるので、“福島出身”ということさえ言うことができなかったといいます。

3月11日には教会で追悼と復興の祈願ミサを捧げ、午後は同慶寺で合同法要に参加。
3月15日は、原発の3回目の爆発で、大量の放射線物質が拡散し、多くの地域が強制避難を余儀なくされた日で、
この浜通りでは3.11と並んで3.15も記念します。
東日本大震災犠牲者追悼と復興祈願ミサと講演(元請戸漁業組合員の志賀さんの現地報告)がありました。詳細は次号で。



2020年の3月に常磐線が全線開通して、小高駅も小高産業技術高等学校の生徒たちが、大勢利用するようになりました。
全線開通した当初からと思いますが、
小高駅の待合室を季節ごとに飾ってくださる県外(関東のボランティアグループ)からのボランティアさんがあります。
クリスマス前にはクリスマスツリー、新春には水仙、早春に菜の花、卒業生への桜咲く、などなど。

今年の3月には、この写真のような心温まるメッセージ付きの飾りがされていました。
季節ごとに本当に手の込んだというか、待合室の全面ぐるりを、天井に至るまで、心を込めた飾りつけに感心し、
感謝して、楽しませていただいています。

今日はここまでとします。
皆様お元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院  北村令子




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