南相馬修道院からの便り 「小高への想い~根っこを大切にする生き方へ」

新しい年のスタートはいかがでしたでしょうか?
うさぎ年に相応しく飛躍の年となれそうでしょうか?
出だしが良ければ、嬉しいですが、もし思うようなスタートが切れなかったとしても、まだまだ挽回というより、
今は助走の段階、これからいくらでも変えていけるでしょう。

さて先月予告しましたように、「小高への想いを語る集い」について分ち合いましょう。
残念ながら第1回目の双葉屋旅館の女将、小林友子さんと瀬下智美さんのお話は、都合がつかなくて聞き逃しました。
このお二人とも教会幼稚園の卒園生で、この集いの準備委員の中心人物です。
2回目の同慶寺の住職さんの田中徳雲さんと小高行政区の区長を長い間なさっている林勝典さんのお話が聴けました。
林さんは小高区にある39の区の区長会の会長で、小高区全体の世話役です。

林さんは震災の時、区内のある家庭を訪問していて、お茶を出されて飲もうとしていた時にグラッと来た。と
それからは、大変で、さらに原発事故の後は、全住民の強制避難ということで、バスが2台来たので、
高齢者を先に1台目のバスに乗せて、後の人が2台目に乗って出発したら、何と2台が別々の避難所に行って行き先が違って、
家族がバラバラになった。それで、誰がどこに避難したか把握するのに苦労した。
どうしてそんなことが起こりうるのか、本当に考えられないことがこのような非常事態には起こるということを学んだ。
そしてこの区長さんはご自分の健康が危うい状況の中で、自分のことを顧みないで、区民のために時間を惜しまず、
どこに避難されているか情報を集めるために奔走されます。そのご苦労を思うと本当に頭が下がります。

支えて来られた奥様も出席されていましたが、ご主人の健康が心配なうえに、ご自分も心臓の調子が悪く、
入院を余儀なくされながらも、区長のおしごとのためにご夫婦で懸命に生き抜いておられ、本当に尊いお姿と見えました。
そして今は、農業を少ししながら、小高区の将来を見据えた復興の在り方を模索しておられます。懸念されていることは、
耕作放棄地となっている田んぼに、太陽光ソーラーパネルがだんだんと増えていっていることです。
いったんソーラーパネルに占拠されてしまうと、移住したい人があっても、住宅が建てられなくなることです。と。

私もそのことは大きな問題だと思っています。以前聞いたことがあるのですが、
津波を経験された人が、ソーラーパネルの海を見ると、津波の海を思い出して気分が悪くなると。
持続可能なエネルギー対策として、CO2排出ゼロの太陽光発電は救世主のようで、急速に普及して、
本当に耐用年数が来た時に処理ができるのか心配です。その時CO2の排出ゼロで処理できるのでしょうか?

同慶寺住職の田中徳雲さんは、住職になったいきさつを話してくださった後、
原発の爆発を知られた時のことを話してくださいました。
以前から自分は原発の危うさを感じて原理を調べていたので、
これほど大きな地震だと原発が大変なことになると感じて、周りの人に危険だと話したが、
誰も皆「原発は安全」だと信じ込んで相手にされなかった。
3人の子供と奥さん(この年に4番目のお子さんが生まれているので、恐らく妊娠中)を守るのは自分しかいないと、
直ぐ福井県に知人を頼って、避難をされたそうです。
そして避難先から通って、津波で亡くなった方々のため、遺体安置所で来る日も来る日も読経をあげて、
弔いに明け暮れました。と(亡くなった方々の神様のもとでの安らかな憩いを祈ります)

大地震と津波の大変な時に、それでも7月末の相馬野馬追の行事をすることになり、
相馬家の菩提寺である同慶寺の藩主のお墓が倒れたままになっているのはよくないと、
重機を借りることが出来るのが、5月の連休ということで、倒れたお墓を起こす作業を多くの住民が協力してくださった。
住民の皆さんは避難生活をしているのに、自分の家のことを差し置いて、藩主のお墓の再建を第一に考える、
このことは小高の人々の心のありようを如実に表している。小高の人々が何を大事にして生きているかが分かる。
即ち、目に見えるものでなく、歴史、文化、先祖崇敬など目に見えないものを大事にされていることに感動したとも話されました。

そして、この原発の事故を体験した私たちは、生き方を変える必要がある。本当に何を大事に生きるのか。             
リンゴの木に例えると、今まで実を享受することを第一にして、よりおいしい、より大きく、より美しい実を求めて、
際限のない追及をしながら、肝心の樹木のこと、幹のこと、根っこのことをおろそかにしてきた。
地球が破壊されそうな今、私たちに何ができるのか、果実中心でなく、実も大事だが、
実をもたらす幹や根っこをもっと大切にする生き方を求めなければならない。
樹木を傷つけたら果実もできなくなる。大地とのつながりが途切れていた人間の根っこを取り戻すよう、
すべての人間、一人一人が人間中心、個人主義から脱却して、精神的に成熟しなければならない。と訴えられました。

このお話を聞きながら、私は、私たちの共通の家である地球が今破壊されていることに警鐘を鳴らした、
教皇フランシスコの「ラウダ―ト・シ」を思っていました。

「この姉妹(母なる大地筆者注)は、
神から賜ったよきたまものをわたしたち人間が無責任に使用したり濫用したりすることによって生じた傷のゆえに、
今、わたしたちに叫び声をあげています。わたしたちは自らを、地球をほしいままにしてもよい支配者や所有者とみなすようになりました。
罪によって傷ついた私たちの心に潜む暴力は、土壌や水や大気、
そしてあらゆる種類の生き物に見て取れる病的兆候にも映し出されています。
こうして、重荷を負わされ荒廃させられた地球は、見捨てられ虐げられた最も貧しい人々に連なっており、
『産みの苦しみを味わって』(ローマ8:22)いるのです。わたしたちは自らが土の塵であることを忘れてしまっています。 (創世記2:7参照)

わたしたちの身体そのものが地球の諸元素からできています。
わたしたちは地球の大気を呼吸し、地球の水によって生かされ元気をもらっているのです。」
(教皇フランシスコの回勅「ラウダ―ト・シ」№2)  
自分のできる小さなことから、人々と地球への思いやりを具体的に実践していきましょう。

今日はここまでとします。寒さの中、皆様お元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院  北村令子




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