南相馬修道院からの便り。


(同慶寺の下の蓮の花畑)

9月になれば涼しくなるだろうと期待していますが、今年はどうでしょう?
7月がこちらでは例年になく涼しくて楽でした。雨も他の地域のような豪雨というのがなく、
少し梅雨が長引いて湿気の多い日々でしたが、災害の少ない所だと改めて感謝しました。
8月も中ごろから少し暑くなりましたが、他の地域のことを考えると、過ごしやすくて感謝です。

7月号で紹介した生業裁判のことですが、訴訟の中身について紹介しておきます。
=訴訟代理人弁護士の最終意見陳述より抜粋=
原発事故は「万に一つにも起こってはならない事故」でした。
愛媛訴訟の原告は、ふるさととそこにあったコミュニティから離れて、
自分の人生をかけて自分と家族の健康を守るために 愛媛に避難してきた人達です。(中略)

原告は、自分のために・子や孫のために・未来世代のために提訴を決意しました。
求める内容は損害賠償による「自己の被害回復」だけではありません。この裁判を通じて

  1. 国の賠償責任を明らかにすること
  2. 被害に対する完全賠償を実現する事
  3. 被害者に恒久的な保証制度の確立を実現させること
  4. こども・被災者支援法で打ち立てた理念を現実化する事
  5. 事故原因を解明し再発防止策を徹底させ、この地球上で二度と同じような惨事を繰り返さないようにすること

を求めています。(中略)・・・・
福島の現実は、事故から11年が経過して避難指示が解除される段階に至ってもなお、
地域の損傷は治癒せず、故郷喪失・剥奪損害は回復していません。
廃炉作業は未だ核燃料デブリの取り出し方法も処分方法も定まらないし、汚染水を海洋放出することが検討されています。
フクシマの被害は終わっていません。現在も進行中です。・・・・(中略)

また、特に未成年者・女性を含む原発被災者に対し、
終生にわたり健康管理と医療支援に求められる責務を果たさなければなりません。
放射能汚染被害者でもある原告らに対する社会的差別の克服に求められる努力を尽くさなければなりません。

福島第一原発事故の発生について国に責任があると判断されることで、
これらの施策の実現について国は主体的・積極的に関わっていかなければなりません。
最高裁判決で言い渡す判決は、このような切実な期待を背負い、
放射能公害による前代未聞の被害に対する先導的・代表的な司法判断という歴史的な意味を持つ、
貴重なものであることを受け止めて、この裁判所の判決が全国の原発事故被災者の救済につながる、
歴史に残る金字塔となることを切に期待して弁論を終えます。

原告の一人で「なじょしてる」誌、筆者の意見陳述の一文国の施策・制度、科学技術への過信、安全神話の形成など、
私たち人間の行為のどこかに、『誤り』があって、原発事故に至ったはずです。
それなのに、福島第一原子力発電所の事故を、巨大地震と津波のせいにして、
東京電力だけに責任を負わせて、それで終わってしまったら、『誤り』は正されぬまま終わってしまいます。
もし、「国に責任あり」という明確な判決が得られれば、原発事故を国民みんなの問題として向き合わせることができます。
国の在り方、社会の仕組みに多くの人々が目を向け、『誤り』を正し、
「人の痛みを放置しない社会」へと繋げていけるかもしれません。(後略)

処理水海洋放出の問題も、「福島民報」にある通り、国は「関係者の理解なしにいかなる処分もしない」と言いながら、
すでに放出のための海底トンネルも着工し、海洋放出ありきで進んでいます。
「理解無き放出」に突き進む政府と東電に、
当事者特に漁業関係者は風評被害の増幅を強く懸念している。


(7月24日)


(7月27日)

二つとも大きな問題で私たちの手に負えるものではないように思いますが、
国民一人一人が「誤り」は『誤り』として、正していくことを意識して生きることが大切ではないかと思います。
そして、国民一人一人の不安や苦しみに寄り添う政治を望み、
声を上げていくことが求められていると思います。

今回はちょっと重い話題でしたね。
今日はここまでとします。皆様 お元気で!!


援助マリア修道会南相馬修道院  北村令子






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