南相馬修道院からの便り。


新しい年度を、希望のうちに始められたことでしょう。
相変わらずのコロナ禍の中にあっても、幼い子供たち、若い人々にとって、
二度と繰り返すことのできない大事な時ですから、
大きな夢と希望を持ちたいものです。持っていただきたいものです。
いえ、若い人だけでなく、すべての人にとっても、今の一瞬一瞬が、掛け替えのない時なのですから。



3月10日、「命の行進」
(千葉県の妙法寺の方が中心で毎年3.11の前日に、南無妙法蓮華経を唱えながら津波などで亡くなった方の供養をする行進がおこなわれています。)
私も今年参加いたしました。同慶寺から「南無妙法蓮華経トントン」と太鼓の音に合わせて行進します。

津波で大きな被害を受けた小高区内の塚原地区の慰霊碑で祈り、地域全部が流され壊滅的な被害を被った村上海岸で、
同慶寺の徳雲住職さんがひれ伏し(写真)、海に入ってお経をあげられました。私は砂浜までの崖が危険なので、防潮堤から心を合わせて祈りました。
村上霊園・貴布根神社から海岸通りを歩いて浪江まで行かれるのですが、私は貴布根神社で終わらせていただいて、
午前中で引き揚げさせていただきました。防潮堤の上を歩きながら、左に太平洋のドドーンと言う波の音を聴きながら、
右に果てしなく続く荒れ地を見て、ここで多くの人が波にさらわれたことを思うと涙が流れました。
3時間半の行進で大震災で亡くなった方々、人生を一変させられ、今も苦しみを抱えて生きている多くの人々のために一歩一歩祈りました。



ところで3.11も大きな災害の記憶すべき日ですが、ここ、相双地区:南相馬市(鹿島区、原町区、小高区)、
浪江町、双葉町、大熊町、富岡町では、3.11と同じくらいに3.15を大切に祈念します。
それは地震と津波の被害より、東京電力福島第一原発の爆発事故による被害の大きさによって、
この地域が壊滅的なダメージを受けたからです。

●3月12日:15:36、 1号機水素爆発  第一原発から3㎞圏内避難指示
●3月13日:次々と避難指示範囲の拡大、20㎞圏内避難指示
●3月14日:11:01、3号機水素爆発
●3月15日:0時ごろ 2号機事故、大量放射性物質の拡散
6:00、4号機水素爆発(広島・長崎の原爆の原子雲のようだったとか)、
20~30㎞圏内屋内退避指示、30㎞圏内に物流ストップ。
深刻な物不足食糧不足に見舞われる。

当時、菅政権のもと、枝野官房長官の目まぐるしく変わる指示に、混乱の極みの状況が思い出されます。
広島、長崎のような直接被曝と言うより、放射能の見えない脅威にさらされた人々の恐怖と、同国人による差別の苦しみ、
絶望の中での自死等々を思うと、本当に心が引き裂かれるような痛みを覚えます。そしてそれは今もまだ続いているのです。
風評被害然り、故郷に帰りたくても帰れない現実、放射能被害のため、すぐ探せなかった子供、親、親族の遺体を、今もまだまだ探しておられる人々。
この間、目にした記事に、お父さんが自宅跡の近くを掘っていたところ、人骨が見つかって、娘のすねの骨だとすぐわかったそうです。
首の骨と歯が見つかったところだとのこと。
なぜ今まで見つからなかったのか不思議なのですが、お父さんは全部のお骨が見つかるまで、心の安らぎはないと。



3.11は同慶寺合同慰霊。カリタス南相馬は、3月11日と3月15日、この状況の下で、密を避けるため、いろいろな行事がストップし、
信者も集まることができない中、参加できない多くの人々の思いも心に抱きながら、原町教会で静かに心を込めて、ミサを捧げました。

原発被害にあった小高はチェルノブイリの人々から精神的にも大きな支援を受けたとのことで、今回のロシアによる苦難に対して、
特別にウクライナの人々への支援を表そうと、小高駅近くの双葉屋旅館の女将が発起人で、
旅館の駐車場にあるコンテナをウクライナの国旗色にペンキ塗りのイベントがありました。私も参加させていただきました。
もともとブルーと緑色に塗ってあったのですが、菜の花の黄色(希望色)に塗ってウクライナ色にしました。
菜の花は菜種油を取るために小高でたくさん栽培されています。菜の花の葉や茎には放射能が含まれるのですが、
何故か種には放射能を含まないことから、菜種油(ユナちゃん)を小高の特産品としています(双葉屋さんで扱っています)。

今日はここまで。平和への祈りを込めて!

援助マリア修道会南相馬修道院  北村令子




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