南相馬修道院からの便り。

9月の声を聴いて、少しは涼しくなるのでしょうか?皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?

この被災地のことは何度も確認する必要があると気付かされたました。
最近聞いたことですが、何かの会議の中で、ある団体の方が、
福島県は放射能に汚染されたのだから全部更地にして何か別の用途を計画してはどうか?と。
おそらく汚染水の海洋放出の問題や、農産物への風評被害などのニュースで、福島県全体が汚染されていると勘違いされているのでしょう。
また、あの黒い大きなビニール袋(除染した汚染土や汚染物を入れた袋、俗にトン袋と言う)は何処に行ったのですか?
今までいろんなところで見かけたのですが…。という言葉を聞きました。
そしてまた、最近までお隣の県に住んでおられた方が、福島県を応援するためと南相馬市に移住してこられ、お話する機会がありました。
隣の県で10年前の大地震を経験しておられても、福島のことがほとんどお解りいただけていないことに驚かされました。
近県の方でこうですから、まして。


福島県は本州では岩手県に次いで2番目に大きな県です。オーストラリアのような形で横長のため、縦に三つの地方に分けられます。
内陸の会津地方は冬は雪が深く、寒い地方ですが、夏は意外と暑い(浜通りより)のです。
中央の県庁所在地の福島市など大きな街のある地方を中通り。気象情報で福島県の気温などは、この中通りの福島市の気温が報道されるので、
南相馬に住む私たちに、冬は寒いのですね、夏は東北なのに厳しい暑さですねとお見舞いをいただきます。でも私たちが住んでいるのは、
太平洋側の浜通りで、東北でも冬は比較的暖かく、夏は海風のため涼しい地方です。
このように気候的にも異なる地方で、間に高い山が壁のように立っています。
この三つの地方は10年前の大地震の被害も違います。会津地方や中通りは、地震は大きかったようですが、
浜通りの津波被害の被災者や原発事故の被災者の避難を受け入れる側でした。原発から20キロ、30キロ圏内の浜通りの住民は、
原発事故による放射能汚染で大変な思いをされました。が、津波の被害を知らずに避難した方もあるようで、
避難所で泥んこになって避難してこられる方を、どうしてそんなに?と怪訝に思われた方もあったようです。


東京電力福島第一原発と福島県の名前が冠されてあるので、原発被害を福島県の全域ととらえられて、大きな認識のズレが起きていると思います。
原発の大きな被害は双葉町と大熊町にまたがる福島第一原発から20㎞圏内の浜通りに限られています。
他の地域は避難区域に指定されず、むしろ避難者受け入れの地域です。もちろん事故当時は被害の状況が定かでなく、
福島県全域に放射線被害が及んでいるように思われていましたが・・・・事実、当初、被害がありました。

そして浜通りは農業、漁業、酪農の資源豊富で、気候も良く住みやすい地域です。
浜通りの南の地域は温州ミカンの最北端と言われています。
が、温暖化の今はマンゴーやバナナも栽培されようとしているようです。
その豊かなはずの浜通りが、原発事故によって取り返しのつかない被害を受けたのです。
あの黒い大きな大量のトン袋:各地域の農地や庭や小学校のグランドなどの仮置き場にあった物:は、
双葉町と大熊町にまたがる広大な敷地、中間貯蔵施設に運ばれて30年間保管し、その後、他県の最終処分場に搬出する約束です。
この中間貯蔵施設の地権者には、30年後には更地にして返す約束だそうです。
本当にその約束が守られるのでしょうか?そして30年後に他県に最終処分を受け入れてくれるところがあるのでしょうか?
政府はその場限りの空約束をここでもやっているのではないでしょうか?

原発の廃炉過程で増え続けている汚染水海洋放出で、風評被害が再燃することになります。
出荷される全ての物は厳密な検査を通過して市場に出るので福島県産ほど安心・安全なものはないのに!!
他の県の産物でこのように厳しく検査されている所があるのでしょうか?


2012年原発から半径20キロ圏内半円形(避難指示区域) 2017年斜線部分は避難指示解除


今回はここまでとします。

援助マリア修道会南相馬修道院 北村令子



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